ノエミ・スモリック

 

行為はいかにして形象となるのか

あるいは、小笠原美環の絵画に近づく五つの道

 

プロローグ

満眼長江水、蒼然何郡山

向来万里意、今在一窓間

長江の水は視野を満たし

未知なる土地の山々はうっそうと木々におおわれる

千里の道を急いだが、いまではそれは窓枠のなかにおさまっている

陳與義(1096 - 1138題許道寧量1

小笠原美環の諸作品は風変わりで、静謐で、控えめで、謎めいた、集中された現在のイメージにほかならない。なかでも、『Bild絵』というタイトルで大きなキャンバスに描かれた2007年作の油彩画は、非常に興味を引く。そこには、大きな黒枠の鏡が設置された空間が描かれている。鏡が絵の大半を占めている。鏡面には、あるいはそれは鏡面ではないのかもしれないのだが、さらにべつの空間が現われている。しかしその空間は絵画空間とどのように関係しているのだろうか。鏡像に向かって斜め奥へと走る側壁がそれを物語る。形象の絵画それは鏡に映ったものである、とかこつけても、しかし、実際はそうではない空間が描写されている。関連、平衡性、交差関係は描かれた空間の空虚を満たしている。とはいえ、どの関係性も、その完全な絶対性を要求することはできないようだ。いつも疑問のなかに投げ込まれ、矛盾に身を置き、終わりなくそれが続く。

1191年、栄西禅師は中国から日本に戻り、禅仏教をもたらした。栄西は日本に喫茶の風を広めた。この時代に茶道は儀式的な作法として、きわめて高位の芸術となる。茶道のために、慎重に構成された庭園の中央に、貴重な自然素材を使用して非常に簡素な小庵が建築され始める。絵や貴重な置物、花などのために設けられた床の間を除いて、四方の壁には飾り気がない。だが、ハンブルクで描かれた小笠原美環の絵画は、日本の茶道芸術と関連するところがあるのだろうか? それについていくつかの点が挙げられる。            1王耀庭『中国絵画のみかた』プラハ 2008 89ページ 筆者訳

 

接近の五つの道

胸臆天地入

籲嗟生風雷

天地わが胸中で一体なり

本来の面目の根源わがうちにあり

孟郊(751 - 814『贈鄭夫子2 

 2 王耀庭『中国絵画のみかた』89ページ

 

第一の道 行為の場

 

日本の茶道は生起する芸術形式である。庭を通って茶室に至る露地から所作は始まり、亭主の挨拶が続き、静かに茶室を拝見し、ゆったりと茶をいただくことへと連なる。この行為は一種の儀式であり、その各過程は紀元前6世紀に道教を起こした老子の教えにさかのぼる。道教は文字通りでは「道」の意味だが、西洋語では、絶対、法則、自然、最高の理性などとも翻訳される。老子自身のことばによると、「道」にはこれらすべての意味が含まれている。「永劫はこれ唯瞬時、涅槃は常に掌握の中、不朽は永遠の変化に存す」(村岡博訳)。3

永遠、はかないもの、無常は、小笠原美環の絵画の本質的なものを言語で表現するための三つの用語でもある。なかでも空間をテーマとする、前述した空間の虚構的な鏡像のBild絵』や、視線をある通路へ解放し、すべての地平を無限の深淵に消滅させる2008年作の『Öffnung隙間』のような絵画にとっては然りである。小笠原美環の空間は決して閉め切られることはなく、つねに遠く深い永遠へと視線を導く開口が存在する。      3岡倉覚三『茶の本』40ページ

 

第二の道 空虚の場

 

茶の湯が執り行われる部屋は、掛け軸を除けば空虚な空間である。老子は空虚を真に本質的なものと考えている。 およそすべての展開の前提となる行為は、空虚なる場で可能となる。老子にとっては、他人が自由に入っていける空虚な空間へと自らを変える才能をもったものが、万物の真の師である。すなわち空間の本質を形成するものは、壁、床、天井などではなく、それらに囲まれたその合間にあるのだ。この空っぽな合間こそ、行為によって埋めることが出来るのである。

すでに8世紀には中国の文芸学者は詩に、空の意味を考察し、読者の想像力のために、語と語の間に、ゆとりの空隙を与えるよう努めた。中国で風景画の成立以降、そうした要請は画家にもあてはまる。北宋時代のきわめて重要な画家である郭思は山水画論を、その編著書『林泉高致』においてつぎのように述べている。「画家は作品に芸術的な想像性のため、見る者が入り込める空間を構成せねばならない」。4 画家のほんらいの課題とはしたがって、絵の表面にひとつの世界を創造することであり、「そこをわれわれは徘徊し、眺めを楽しみ、時間にとらわれず跋渉し、佇むことができる、そういったある世界を打ち立てることなのだ」。5

小笠原美環の絵画にはよく壁、扉、床、窓あるいはカーテンが登場する。それらが舞台を作りあげ、かの「空虚」が主役を演ずる。目を向ければ、あらゆるはじまりの本質がそこで明らかにされる。                                                     4王耀庭『中国絵画のみかた』23ページ、5同ページ

 

第三の道 視線の場

 

和紙を張った障子を通して茶室内に差しこむ光は、何もない部屋で独特な光の律動を生み出す。小笠原の空間もリズムによって際立ち、動きの揺らぎは、たくみに使われる光の効果によってだけではなく、むしろ西洋人には見慣れない空間構成によるものである。

日本絵画の範例であった中国絵画では、ルネサンス以来、西洋絵画で展開した中心遠近法の空間構成と無縁であった。中国画家が外界を観察するさい、ある一点の視点から始めることはない。西洋画家はこの定点を世界の中心であるとして、そこから眼前に広がる世界を眺望し、抽象的な構成力で画面に描写する。中国画家とは、足下に受動的に広がる世界を行動的に観察する者ではない。彼らは周囲の世界と相互的な、いわば民主的な交流へとおもむくのである。その結果、中国絵画の空間はつねに、複数の観点から同時に捉えられる。この構造は、空間の根源的な体験と対応している。空間を縦断、対象を一巡したときのみ、それらの空間的広がりを認識することができるのである。ようするに空間、対象の体験は多様な観点の同時性により成り立っている。

このことをすでに、自己中心的な思想傾向があるルネサンス人の傲慢さに、まだ染まっていないヨーロッパ中世画家たちも承知し、絵画における空間をつねに複数の視点から捉えていた。東ヨーロッパのイコン画においては20世紀まで、この空間構成は保持され、ロシア画家・ワシリー・カンディンスキー、カシミル・マレーヴィッチらは20世紀前半にも、この空間構造を絵画で展開し続けた。日本出身のこの画家は、それをふたたび彼女の絵画の中で取り上げている。

すでに言及した作品「Bild絵」においてもこのような空間構造を見ることができる。そこでは空間を捉えるはずの中心点が見られない。たえず新たな視角が視線を右から左に、中心を通り直線的に、またときには左から奥へと誘導する。中国の伝統のように、空間は異なる遠近法によってだけでなく、多数の重なる層によって、さらに構築されている。第一の層は、空間を開き、背後への視線の邪魔にならないように、手前に傾けられているように見える。第二の層は、空間を安定させ、見る者の視線と並行に走り、第三の層は視線を奥へ導く。このように視点を滑らせる3層の空間構造を、2007年作の小笠原美環の『Im Licht光の中で』と題された作品は、みごとに示している。そこにあるのは、果てしない深奥に向かう、移ろいやすい不安定な視線である。

 

第四の道 不完全の場

 

日本の茶室とそのしつらえは、非対称の秩序によって特徴づけられる。何物もたがいに対称であってはならない。西洋の建築と美学の基本原則である対称性は、いっさい拒絶される。この原則も道教にさかのぼり、過程、つまり成就をめざして努力する道であり、成就そのものを熱望するのではない。茶室は「『不完全崇拝』に捧げられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」(村岡博訳)のである。6  精神において未完成を完成させるものだけが、真の美を発見することができる。

道教が対称性を避けるのは、それが完全性へと繋がるからだけではなく、反復をも意味しているからだ。道教では、たび重なる反復による統一性は、つねに創造力の展開を妨げると考えた。それゆえ来客としてそこに居合わしている人間より、山水、花鳥の描写を選ぶのである。茶室内では、想像力のなかで完成への道を歩むように、と各自に託されている。「茶室に於いては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばれなければならぬ。活花があれば草花の絵は許されぬ。丸い釜を用いれば水差は角張っていなければならぬ」(村岡博訳)。7

小笠原美環の絵画がかくも魅惑的に作用する理由は、ひとつには、見る者に大きな自由空間を与える作品に遍在する未完成さである。描かれた空間断片は(けして空間全体は描かれていない)足を踏み入れ、通り抜け、迷い込むように、そして各自の想像で、既知の空間を、また新たに構成し直すよう要求する。よりいっそう魅力的なのは人物をあつかった諸作だ。2007年作の『Bühne舞台』では、手前に少し傾いた、明るい灰色の床が前景を占め、中景には少女が佇んでいる。それだけである。少女はいま立ち止まったところなのだろうか。驚いているのか?彼女の上半身はどのようなのか。そして顔かたちは、美しいのか?「茶道は美を見出さんが為に美を隠す術であり、現はすことを憚るやうなものを仄めかす術である」(村岡博訳)8 小笠原の絵画について、これほど適切な注釈はないだろう。

6岡倉覚三 55ページ、 7 70ページ、 8 19ページ

 

 

第五の道 永遠の矛盾の場

 

道教も禅も矛盾を尊ぶ。南の空に北極星を見ること、それが禅宗では真の知覚なのである。対立概念を超えてはじめて真理に至る、と禅宗はする。それは、自己の思考内容として見た場合だけに限り、対立概念である。道教にとって相対とは絶対なのだ。

道教の教えには、古代ギリシャから西洋哲学を規定してきた主体と客体という対立観念は、存在しない。主体は、西洋哲学でみられるような、客体から切り離され、分離した対立物として客観的に判断を下すことのできる存在ではない。まさに反対である。「道」の信奉者は、事物の内なる本質との直接的な繋がりを求める。そして外観は明快な真理到達にとっては、たんなる障害にすぎないと見なす。客観は主観によって浸透され、その逆もまた然り。境界は存在しないのである。

小笠原美環の絵画に『Haut-Serie肌の連作』と名付けられた小さいサイズの連作がある。明るい、ときに淡い青、あるいは淡い紅色に彩色された背景で、拡散する光のなか、人体の各部分が見られる。2008年作の『Haut/Knie肌・膝』は、手を支える膝。または、重ねて組まれた裸足では、つま先が妙に、不自然に上に向いている。2007年作のこの作品は『Haut/Zehen肌・つま先』と題されている。次々に制作される、雰囲気があり、明るくも薄暗くもない空間なかで、手、足、腹部、または肩の肌は、人体を保護する膜であると同時に、人体の境界を示し、はかない描写で、周囲の空間に溶け込むように見える。描かれた肌は、空間や人体の各部分を固く結び付け制限しているのではなく、限定せず境目はゆるやかで定かではない。人体各部とそれを囲む空間の、そのどちらもが、何かによって、すなわち純粋かつ本質的なものである人体よりも、なおいっそう矛盾に満ちた絶対的な現在によって、浸透されている。

 

エピローグ

 

キリスト教の宣教師は與へる為に行き、受けようとはしない(村岡博訳)岡倉覚三 1906 9

 

小笠原の作品は、日本の美的伝統と密接に関連するが、やはりヨーロッパ、欧米の絵画、映画の影響なしにしては考えられない。それは対話、交流であり、東洋の視覚を西洋の視覚が、西洋の視覚を東洋の視覚が拡張する、という豊かさの著しい増進である。中世絵画に由来する質素な線や、印象派絵画の拡散する光の遊戯、アメリカ画家エドワード・ホッパーの絵画に見られる空虚な孤独なども、彼女の作品には認められる。またこの画家の表象世界は、強く映画の感化も受けている。彼女の絵のなかで、アルフレッド・ヒッチコックあるいはデイヴィッド・リンチの映画の危険に満ちた謎と、ミケランジェロ・アントニオーニのカルト映画『Blow Up欲望』のような不思議な魅惑とが、しばしば入り混じり、 共感を呼ぶスタッカートに混成されている。にもかかわらず、日本の芸術思想を数世紀にわたり形成してきた茶道の表象世界が、たえず共振しているのだ。「茶の湯は、茶、花卉、絵画などを主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムを損なうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず」(村岡博訳)10。小笠原美環の絵画のまえにして、人は声をひそめる。                              9 岡倉覚三 14ページ10 岡倉覚三  19ページ

 

MIWA OGASAWARA WINDRAUCH Galerie Vera Munro 2009  展覧会カタログ

訳:河合哲夫(美術史家)