河合哲夫(美術史家)

 

小笠原美環論   あるいは暗闇の形而上学

 

京都府京田辺市の虚空蔵谷の美しく豊かな自然に囲まれつつ、大都会の風俗習慣による汚染からは守られ、1970年から80年代、3人の姉妹兄弟とともに子供時代を過ごし、1997年からはドイツのハンブルクに居を定め、制作を続ける小笠原美環。その油彩画の特徴は、硬質で透明感のある光と、それに寄り添う深みのある闇、あるいは影の表現だ。ある特定の風景や室内空間の状況、ないし人物が、題材として取り上げられているが、じつは描かれているのは、心象風景ともいうべき思索に満ちた深い世界であり、画家の意識のありようがそのまま風景や人物に投影されている。

静謐な室内空間、光と闇のコントラストが印象的な風景、窓辺で外を眺める人物の後ろ姿。何気ない日常の光景を見つめている間に、いつのまにか深遠な精神の世界に迷い込んだような錯角にとらわれる。深い闇に浸された、ないしは淡い光に満ちた部屋の奥には濃密な思索の空間が広がっている。

 

1.

 

ノエミ・スモレックは2009年、小笠原芸術に関する基本文献となるすぐれた論攷『行為はいかにして形象となるのか、あるいは小笠原美環の絵画に近づく五つの道』を著し、茶道芸術との関連性に注目し、五つの項目を立て接近を試みる。われわれの考察に、さしあたって必要なのは同論攷の精読と批判であろう。

近代日本の思想家・岡倉天心は明治39年、茶道芸術の神髄を西洋社会に宣揚し、日本文化を解明する方法として東洋の美学を説いた英文の『茶の本』をニューヨークで出版した。同書を手掛かりとして、スモレックは第一に「行為の場」として絵画空間を捉え、「永劫はこれ唯瞬時、涅槃は常に掌握の中、不朽は永遠の変化に存す」(村岡博訳)の一節を同書から引用し、「永遠、はかないもの、無常は、小笠原美環の絵画の本質的なものを言語で表現するための三つの用語でもある。なかでも空間をテーマとする、前述した空間の虚構的な鏡像のBild絵』や、視線をある通路へ解放し、すべての地平を無限の深淵に消滅させる2008年作の『Öffnung隙間』のような絵画にとっては然りである」と指摘する。

じっさい小笠原の絵画に現れる室内空間は、行為自体はそこにおいては描かれず、行為がこれから成立するであろう場、ないしは行為のための場である、がらんどうの造り、うつろな場所、その舞台の上では、ある一定の所作や点前、行動が演じられることが、予想される。そこには、日常から切り取られた一場面が、非日常の永遠の時間を生きている。

 

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第二に「空虚の場」とし絵画空間を捉え、その空間特性をスモレックは次のように述べる。「・・・よく壁、扉、床、窓あるいはカーテンが登場する。それらが舞台を作りあげ、かの「空虚」が主役を演ずる。目を向ければ、あらゆるはじまりの本質がそこで明らかにされる」さらにこの空間は限定的なものでなく「決して閉め切られることはなく、つねに遠く深い永遠へと視線を導く開口が存在する」。そしてそれを道教に影響された茶道思想に関連付け、「茶の湯が執り行われる部屋は、掛け軸を除けば空虚な空間である。老子は空虚を真に本質的なものと考えている。 およそすべての展開の前提となる行為は、空虚なる場で可能となる。老子にとっては、他人が自由に入っていける空虚な空間へと自らを変える才能をもったものが、万物の真の師である。すなわち空間の本質を形成するものは、壁、床、天井などではなく、それらに囲まれたその合間にあるのだ。この空っぽな合間こそ、行為によって埋めることが出来るのである」と類推する。

 

3.

 

この空間の揺らぎが因ってくるところの理由を、さらに第三に「視線の場」という論点から捉え、「西洋人には見慣れない空間構成によるもの」とし、その根源を東洋画に求め、スモレックは以下のように指摘する。「日本絵画の範例であった中国絵画では、ルネサンス以来、西洋絵画で展開した中心遠近法の空間構成と無縁であった。中国画家が外界を観察するさい、ある一点の視点から始めることはない。西洋画家はこの定点を世界の中心であるとして、そこから眼前に広がる世界を眺望し、抽象的な構成力で画面に描写する。中国画家とは、足下に受動的に広がる世界を行動的に観察する者ではない。彼らは周囲の世界と相互的な、いわば民主的な交流へとおもむくのである。その結果、中国絵画の空間はつねに、複数の観点から同時に捉えられる。この構造は、空間の根源的な体験と対応している。空間を縦断、対象を一巡したときのみ、それらの空間的広がりを認識することができるのである。ようするに空間、対象の体験は多様な観点の同時性により成り立っている」。

このように特徴づけたのち、具体例に言及し、「作品『Bild絵』においてもこのような空間構造を見ることができる。そこでは空間を捉えるはずの中心点が見られない。たえず新たな視角が視線を右から左に、中心を通り直線的に、またときには左から奥へと誘導する。中国の伝統のように、空間は異なる遠近法によってだけでなく、多数の重なる層によって、さらに構築されている。第一の層は、空間を開き、背後への視線の邪魔にならないように、手前に傾けられているように見える。第二の層は、空間を安定させ、見る者の視線と並行に走り、第三の層は視線を奥へ導く。このように視点を滑らせる3層の空間構造を、2007年作の小笠原美環の『Im Licht光の中で』と題された作品は、みごとに示している。そこにあるのは、果てしない深奥に向かう、移ろいやすい不安定な視線である」と分析する。

スモレックはこのように空間の三層構造を指摘するが、私にはむしろ、空間の二極性が明確に現われているように見える。前景と後景、内と外、明と暗、こちら側と向こう側、此岸と彼岸というような形式面でも内容面でも対比が導かれていて、対応物を美術史上にあえて求めるならば、19世紀ドイツ・ロマン派の巨匠カスパー・ダーフィト・フリードリヒの構図に近似性を見出すのものだ。そして当然、この二極性の特質は小笠原の描く「窓」「後姿」の図像にも適合する。

簡素な部屋、廊下、階段、鏡、カーテン、窓。これらのモチーフは「内なる精神世界」へとわれわれを誘う契機であるだけではなく、画家と外界との境界を表している。この「窓」には不思議なはたらきがある。ガラスを境として内と外を隔てるが、ガラスは部屋の内外を映し出す。画中の窓辺に立つ少女は、いったい何を眺めているのだろうか、視線は外界に向かっているが、おそらく可視的な「風景」が目に映じているのではない。此岸にいて彼岸を見つめる眼差しだろう。窓はそういう連想を誘う。

 

4.

 

2008年、ハンブルクで行われたハンス・ヨルク・クレメントの『明晰さの探求はアンビバレンツにたどり着く』というインタビューに答えて「私は絵が完璧になる前にやめます。完璧な世界というのは、非現実的で人工的です。現実には、終はなく、未完成で、けして完璧でもありません」と述べる小笠原だが、その描く作品に付随する「未完成」なる特質に関して、スモレックはそれを、第四に「不完全の場」と把握し、次のように言う。「小笠原美環の絵画がかくも魅惑的に作用する理由は、ひとつには、見る者に大きな自由空間を与える作品に遍在する未完成さである。描かれた空間断片は(けして空間全体は描かれていない)足を踏み入れ、通り抜け、迷い込むように、そして各自の想像で、既知の空間を、また新たに構成し直すよう要求する」。そしてその根拠を、茶道に求め、「茶室内では、想像力のなかで完成への道を歩むように、と各自に託されている」と指摘する。

さらにスモレックは「未完成」と「非対称性」の意義を強調し、「日本の茶室とそのしつらえは、非対称の秩序によって特徴づけられる。何物もたがいに対称であってはならない。西洋の建築と美学の基本原則である対称性は、いっさい拒絶される。この原則も道教にさかのぼり、過程、つまり成就をめざして努力する道であり、成就そのものを熱望するのではない」。そして茶室は「・・・<不完全崇拝>に捧げられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させる」(村岡博訳)と『茶の本』を引き、精神において未完成を完成させるものだけが、真の美を発見することができる」とする。「茶道は美を見出さんが為に美を隠す術であり、現はすことを憚るやうなものを仄めかす術である」(村岡博訳)と茶道における「未完成」の重要性を指摘する。

茶の湯の造形における一般な傾向を言うなら、不均斉、釣り合いの取れていないものが愛好される。茶碗、茶入れ、水指し、花器などみな均斉の取れていない、面白みのある、味わいあるもの、見ていて何とはなしに妙味の出て来るもの、つまり不完全なものが、評価される。完璧に均斉の取れたものは茶器にはならない。生真面目すぎて遊び、ゆとりがなく面白みが湧いてこない。表面に凹凸があり、形に、ゆがみやひずみがあり、いびつである、そういう茶器が好まれる。しかしだからといって、不均斉、未完成が、ことさら意図的に人為を加えて形を崩し、作為された、いわゆるデフォルメなのでは、かえって感興は薄れる、と言わねばならない。ありのままで飾りのない、簡素、枯高なものがよい、とされるのが通例だ。

 

5.

 

最後に第五に「永遠の矛盾の場」として、スモレックは人体、皮膚、空間の関係を取り上げ、それらはたがいに対立、限定するのでなく、融合し、同一のものとして現象するとみる。これはようするに、人間は空間であり、空間は人間である、という論理的には矛盾する命題が成立すると言い換えてもよいであろう。つまり身体表現と空間表現の分化が行われていないのである。換言すれば両者の表現形式相互の一致、もしくは未分化的な統一であろう。

そうした理解にたち、スモレックは「空間なかで、手、足、腹部、または肩の肌は、人体を保護する膜であると同時に、人体の境界を示し、はかない描写で、周囲の空間に溶け込むように見える。描かれた皮膚は、空間や人体の各部分を固定し制限しているのではなく、限定せず境目はゆるやかで定かではない。人体各部とそれを囲む空間、そのどちらもが、何かによって、すなわち純粋かつ本質的なものである人体よりも、なおいっそう矛盾に満ちた絶対的な現在によって、浸透されている」と分析し、その具体的な作例を挙げている。

さらにこうした造形世界の背後にある理論的なよりどころとなったものを、東洋の伝統的な思想に絡め、「道教も禅も矛盾を尊ぶ。南の空に北極星を見ること、それが禅宗では真の知覚なのである。対立概念を超えてはじめて真理に至る、と禅宗はする。それは、自己の思考内容として見た場合だけに限り、対立概念である。道教にとって相対とは絶対なのだ」と理解し、あるいはまた「道教の教えには、古代ギリシャから西洋哲学を規定してきた主体と客体という対立観念は、存在しない。主体は、西洋哲学でみられるような、客体から切り離され、分離した対立物として客観的に判断を下すことのできる存在ではない。まさに反対である。『道』の信奉者は、事物の内なる本質との直接的な繋がりを求める。そして外観とは、明快な真理到達にとっては、たんなる障害にすぎないと見なす。客観は主観によって浸透され、その逆もまた然り。境界は存在しないのである」と敷衍している。

これをさらに禅の立場から一般的に言うなら、主観・客観を峻別し、善悪、美醜などの価値判断をつかさどる分別思案を越えることだ。自己と宇宙を重ねあわせ、いわゆる天地同根、万物一体という姿を見届けるのが、禅の根本義と了解されることになろう。部分と全体は一致し、一即多、多即一となる。 

そうしてスモレックはさらに続けて「小笠原の作品は、日本の美的伝統と密接に関連するが、やはりヨーロッパ、欧米の絵画、映画の影響なしにしては考えられない。それは対話、交流であり、東洋の視覚を西洋の視覚が、西洋の視覚を東洋の視覚が拡張する、という豊かさの著しい増進である。中世絵画に由来する質素な線や、印象派絵画の拡散する光の遊戯、アメリカ画家エドワード・ホッパーの絵画に見られる空虚な孤独なども、彼女の作品には認められる。またこの画家の表象世界は、強く映画の感化も受けている。彼女の絵のなかで、アルフレッド・ヒッチコックあるいはデイヴィッド・リンチの映画の危険に満ちた謎と、ミケランジェロ・アントニオーニのカルト映画『Blow Up欲望』のような不思議な魅惑とが、しばしば入り混じり、 共感を呼ぶスタッカートに混成されている。にもかかわらず、日本の芸術思想を数世紀にわたり形成してきた茶道の表象世界が、たえず共振しているのだ。「茶の湯は、茶、花卉、絵画などを主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムを損なうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず」(村岡博訳)。小笠原美環の絵画のまえにして、人は声をひそめる」と『茶の本』を引用してから論を結んでいる。

以上のごとくスモレックは茶道芸術の影響を、いささか過大に評価し、核心こそ外していないけれども、ただ何ぶんにも参照資料の範囲が限定されていて、その方法にやや図式的で安易な応用があり、牽強付会のおそれなし、とは言い切れない。

茶道芸術を含め、それ以外の風土・文化的な影響もすべて、小笠原が意図的に戦術として作品の表層に、たんなる造形的装飾として、取ってつけたように安易に利用しているのではけしてない。その点は看過してはならない。様式上の問題ではなく、むしろ背後にある思想にかかわることであり、内容は十分に咀嚼、消化され、目立たず深いところで栄養となって吸収され、創造的活力を生み出しているのである。作者自身も恐らくは意識して受容行動を取っているのではない。むしろ無意識的であろう。そのしぐさには、まったく不自然で作為的なところは見受けられない。

 

6.

 

小笠原の絵画は自己の内面世界への入り口でありながら同時に、宇宙を映す鏡でもある。世界が直面する「大きな物語」と個人の「内なる物語」とを向きあわせることで、目には見えない形而上学的な世界を描いてきた、という小笠原美環。そこでは見慣れた日常の情景が無限の全宇宙と重なる。

生涯いちどもイタリアの地に足を踏み入れず、また踏み入れたいとも思わず、北ドイツに留まり「崇高」「悲壮」などの主題を繰り返し扱ったフリードリヒを小笠原は好むという。彼の絵画にはしばしば「窓」「後姿」の図像が現われる。彼が描いたのは北方の冷たい光である深い闇、淡い光に満ちた遠い場所 はるかかなた、彼岸、あの世の風景は、超俗を堅持したフリードリヒ特有のモチーフである。それらは同じく北ドイツに身を置く小笠原が描くところの、うつろい、さまよい、ゆれうごく画面にも表れる。そこには内と外の世界が共振し、さやぎが生まれる。それは音もなく静かに律動する想念の風景なのだ。作品は音楽性を帯び、リズム感に満ちているが、それはけして「かまびすしい音」であろうはずもなく、むしろ喧噪とは正反対の、あるかなきかの「かそけき音」にほかならない

 

7.

 

東日本大震災とフクシマ原子力発電所問題を取り上げた数点がある。祖国の筆舌に尽くしがたい大災害はドイツに在住する作家に大きな衝撃と苦痛を与えた。この時期の作品には初期作品に見られたような、無垢な少女や未知の闇に潜む不安に怯える子供のあどけない姿が再度くりかえし繰り返し登場する。いっぽうで室内の静謐な空間を描いた作品では、いちだんと表現は冴え、透明度が増す。大震災から2年間の作品を見ると、あたかも作家の心境のみならず、われわれ自身の意識の変化や、社会の動きをも投影する暗く深い鏡面に向かい合う心地にとらわれるのは、衆目の一致するところだ。 

はるか他郷のハンブルクの地で小笠原は、いま世界が直面し解決が迫られている深刻な「大きな物語」であるこの未曾有の大惨事に、そして自己の心の方位にも、真剣な態度で想いを巡らし目を凝らした。そうした苦しみに満ちた葛藤を通じて、しだいに、影、光、闇の新たな表現次元を獲得していった。

災害をテーマとした作が明暗の対照が鬼気迫り、まがまがしくいかにも不気味なのは、2011年3月の東日本大震災が引き起こした大惨事と、3年目を迎える現在もなお解決の筋道さえ定かに見えないフクシマの東京電力原子力発電所の一連の事故、災害をきっかけとし、未曾有な不幸を人類にもたらす大災害を、いつでも起こりうる出来事一般として、その危機感、ぬぐいきれない不安を形象化しているからだ。共に今を暮らす社会の動きに画家として敏感に反応し、同時に不安というもの一般の本質を鋭く暴き出す普遍的な発言にほかならず、自己の立ち位置を冷静に計測する営みであろう。

 

8.

 

小笠原の造形が投げかける問いを解くキーワードとして、かつて私は「幽玄」と「メランコリー」の二概念を挙げたが(『展覧会Beyond the Silenceに寄せて』)、いまだ修正の必要性は感じていないので、この論点をさらに展開してみよう。

彼女の世界には縹渺とした余情が漂う。その特質をいま任意に列挙してみる。核心部は隠され、おおわれていて、表現はあらわでなく、明白でもない。内にこもり、対象の直接的知覚は不可能で、むしろ暗示的である。画面はほの暗く、朦朧として薄明だ。画家は、矯激露骨な描写、あからさまな即物性、尖鋭すぎる誇張、歪曲などの成分は退け、優しさ、つつましさ、柔らかさを有する。そして強引に理屈を押し付けたりしない。おおようさ、穏和な上品さを備えている。作品には、ほの暗く隠れたものがおのずと伴う静寂が、隅々まで浸潤している。その静けさのなかに、深遠で特殊な精神的意味が内包され、複雑で難解な思想が宿っている。

ただたんに隠れたもの、ほの暗いもの、理解し難いものであるにとどまらず、濃い内容が作中に集約され、凝結し、その結果、神秘性、超自然性、形而上学的など、といわれる特徴を獲得するところまで到達しているのだ。非合理的、不可説的、ことばにするとたちまち消え去ってしまいそうな「瓢泊」「縹渺」とも形容しうるような、そこはかとない気分、情趣が作品に揺曳するのは誰もが認めるところであろう。

おそらくは、洗練され、調和均衡のある快い美しさをもつ古典的な「優美」が、何かはっきり分からない「夢幻」とか、人間の知識を越えた「神秘」など、合理的には説明できない要素と混ざり合い、こうした趣を呈しているのだろう。画家が好むと好まずにかかわらず、否も応もなく遺伝的な素因として、生まれ育った母国の文化的伝統から受け継いだ、あるいは背負わされたものである。とはいえこのような特徴は、小笠原が西洋美術との根本的かつ全的な対決を体験してから初めて顕在化したものであろう。

画家の美意識をはぐくんだのは、京都の風土から生まれた芸術精神であり、それと同じ土壌で日本古典文学が形成された。そのなかに、小笠原の絵画世界の構成要素に対応する類例が見いだせる。瞥見するかぎりで、いま試みにそのルーツを遡って探ってみよう。まず「秋の夕ぐれ空のけしきは色もなく聲もなし」(鴨長明『無名抄』)に例えられるであろうか。それとも「やさしくけだかくして薄雲の月を帶たらん心地」(伝藤原定家『愚祕抄』)であろうか。あるいは「花に霞のかゝりたる風情」「朝の雲、暮れの雨をながめたるてい」(『正徹物語』)などと比べうるものであろうか。いずれにしろ、これらに通底する美意識を、分類するなら「幽玄」と称さるべき中世日本に展開した美的カテゴリーに帰属するのであり、この概念は小笠原の世界を読み解くいくつかのキーワードのなかでも、有効なひとつとなるはずだ。

幽玄ということばは元来、中国において老荘の用語を借りて仏法の深遠さをあらわすのに用いられていたが、日本に入って芸術美を表示する術語となった。平安時代前期の歌人・壬生忠岑が和歌における高情体の説明にこの語を用いたのを嚆矢となし、藤原基俊らを経て藤原俊成に至り、美的理念として確立せられた。俊成においては余情が深く、幽遠で優雅な気分をたたえたものが、幽玄とみなされたが、その後、室町時代中期の臨済宗の歌僧・正徹は、幽艶なものを、さらに「ひえやせたる」風趣を重視した彼の弟子・心敬は、清艶なものを幽玄の内容と考えた。また二条良基の連歌論では、感覚的な優美に傾き、世阿弥の能楽論では、高雅優麗な情趣を主とする。かように、時代によって各人各説を唱えるのではあるが、いずれも縹渺とした余情、余韻において成立する美であることにおいてみな等しい。

大正から昭和期にかけて日本固有の伝統文化の構造解明に、ドイツ美学の類型論的方法を批判的に援用した大西克禮は、「幽玄」に注目し、その特質を次のようにとらえる。「・・・「精神」の創造性の方面を極度に止揚して、言わば「自然」の所与性その者に全幅の「我」を歸依せしめ、沈潜せしめる純粋静観、或いは「止観」の境地に徹する時、自然と精神、或いは對象と我が一體一如となって、「存在(ザイン)」それ自身の直接の全相をその刹那の中に髣髴せしめると同時に又「個」の存在が「全」の存在に、ミクロコスモスがマクロコスモスに擴充されるとも言ひ得べき、美的體驗の特殊相を言うのである。・・・所謂「藝術美」の理解に特有の一種の明瞭性(クラールハイト)に對して、自然美の深き味得に含まれる一種の幽暗性(ドゥンケルハイト)が考えられるであらう・・・」(『幽玄とあはれ』)。ここに幽玄における美的体験が詳細に記述、分析されているが、これらの諸要素はまぎれもなく、小笠原の意識の深層に伏流するものであろう。そこではしかし無常を嘆き悲しむ感傷性や抒情は明確に否定され退けられ、客観的な事実として冷静に受け止められる。

 

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いまひとつのキーワードは「メランコリー」だ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスが最初に唱え、短気・楽天・鈍重など他の気質とともに、四大気質のなかに数えられる黒胆汁質の陰鬱質がメランコリーだが、同気質は古くから西洋における芸術活動の歴史的発展に、一定の地位を占めてきた。

徒然なる寂寥とした物憂い気分にひたされた人物像が、小笠原の画面にしばしば立ち現れる。彼らは、にぎやかさとは無縁に、どことなく不安だ。物さびしく蕭然として憂愁にみち、物音ひとつたてない。これといって見るべきものもない、薄明に包まれた蕭条とした野外や室内の情景のなかに、ひっそりと居る。描かれているのは、うら淋しく、わびしいながめである。

しかし、作者自身の反映とも思われる打ち沈んだようすの画中人物は、けして不都合な事態に直面して、打開できない状態に陥り、行動が消極的になっているのではない。ましてや閉塞し、なんとなく気持ちが晴れず、心がすっきりとしないで鬱屈した重苦しい気分に支配されて、なすすべなく崩れおれてしまった萎えた姿を、さらしているのではむろんない。

かれはしばし瞑想に沈み、心のなかを見つめて思索の糸をたぐり、内省的な物思いにふける。そうして想いを巡らして、来し方を振り返り行く末を見定める。一息入れて次に激しく跳躍する準備段階にいて、いましばらく佇む。あたかもうずくまる動物のようなしぐさでもあろうか。寄る辺なく悲しく、さびしい雰囲気が漂っているが、緊張した内面は生き生きと活動しているのだ。わだかまりが消えずに、胸のつかえをかかえて陰陰滅滅となって嘆くばかりの姿でなく、むしろ生き生きと積極的な心の様態が暗示されている。詠嘆的な感傷性は、まったくその痕跡さえ見受けられない。

古代ギリシャでは、憂鬱は病的な気質としてみなされ、西洋中世の占星術などを記した写本挿絵では、他の三気質と共に寓意的な意味は含まず、日常場面のたんなる一例として取り上げられ、以降、今日までたびたび絵画に表現されてきた。メランコリーの価値の消極的、否定的な図像に、すすんで積極的、肯定的な意味の比重を与えたのは、ドイツルネサンス期の画家アルブレヒト・デューラーである。彼の1514年作の銅版画『メランコリア Ⅰ』において「能動的な生」vita activaと「瞑想的な生」vita contemplativaのふたつの領域の間に橋が架けられ、思考力、創造性に富んだ人間のタイプとしてメランコリカーは、高く評価される。

つまり、何も生み出さない無能な憂鬱病患者ではなく、独創的で豊かな産物を作り出す生産者として、新たに姿を現し、無気力で受動的な、ただ嘆くだけの人間にとって代わる。知的、芸術的生産に携わるときには、既存の形式を繰り返し模倣する追随者ではなく、オリジナルなクリエーターとして、メランコリカーの独創的な活動が開始される。

デューラーと同時代のルカス・クラーナハ、イタリア・バロックのジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネと続き、18世紀スペインのフランシスコ・デ・ゴヤ、さらに19世紀ドイツのカスパー・ダーフィト・フリードリヒ経て、ジョルジョ・デ・キリコ、オットー・ディクス、アンゼルム・キーファーらなど近現代まで、同図像のこうした積極的な意味は、連綿と内容とかたちを変えながらも絶えることなく継承されて行く。かくして芸術家はいうならば、既存の被創造物たる「所産的自然」natura  naturataを反復するだけではなく、彼自身が、新たにすぐれた成果を生み出してゆく創造者たる「能産的自然」natura naturansとして尊崇されるに至るのである。 小笠原が繰り返しの描くところの寂しげな一群の人物像は、アトリビュートが付加されていないので、イコノグラフィーとしての明証性は担保されていない。しかし、こうしたメランコリーの図像系譜に連なる、と解してもよいであろうし、むしろ正しく、その掉尾に位置づけられてしかるべきであろう。とまれこれらが醸し出す美的情趣は「メランコリー」と称するものに他ならない。

 

10.

 

前掲のインタビューでクレメントはこう問いかけている。「小説家で哲学者でもある谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』と題する、たいへん影響力のある美学があります。このエッセイは、実際のものやかたち、そのものの意味より、それをとりまく光と影との共演の意味を論じています。あなたはそうした見方に共感しますか」。それに対して小笠原は、「私は日本文化や谷崎哲学を、30歳代になってやっと意識して考察し、私との関連性も認識するようになりました。彼のいう光と影との共演というのを、私は「間」として、世界空間、広がり、間隔、余白、場、ゆとり、遊びとしての隙間、空所など日本文化の主要な要素として理解しています」と答えている。

光と影が織りなす共演、闇などの持つ意義は、小笠原においては第一義的なものであろう。かげ、かげり、くもり、くらがり、やみ、などはいずれもみなこの陰翳という美的概念に包摂される。谷崎は著書『陰翳礼讃』において、薄明かりこそがものの美しさを引き立てる条件と主張し、闇の意義を強調する。すなわち「日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する」

「「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵(まきえ)などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭(ろうそく)のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。古えの工藝家がそれらの器に漆を塗り、蒔絵を画く時は、必ずそう云う暗い部屋を頭に置き、乏しい光りの中における効果を狙ったのに違いなく、金色を贅沢に使ったりしたのも、それが闇に浮かび出る工合や、燈火を反射する加減を考慮したものと察せられる。つまり金蒔絵は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しづつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである」。

昭和8年から9年に発表された、西洋文明を批判し日本文化を称揚する、谷崎のこの長編随筆は、衣食住や芸能など多方面から「陰翳」を論じ、全体的にその趣旨は理解できるが、今日からすると奇矯で滑稽なところもなくはない。時代的な背景は全く異なり、社会情況も大きく変化したとはいえ、闇の美的な効果に関しては、今でもなお正鵠を射ている、といえよう。小笠原によって描かれている漆黒のような影と闇は無限に深い。あたかも、漆を幾度も時間をかけて塗り重ね、得られたかのような、重層的で奥行きのある黒だ。これは油彩絵具によるものだが、さながら、伝統工芸に見られるような色彩として、目に映る。ほのかな余情を帯びたその黒は、深遠微妙な生命的神秘をも感じさせ、谷崎が京都東山七条「わらじや」で体験したと語る、闇の美と照応する共通項を、見い出すのは苦ではない。しかし、「私はいま、過去と現在が混ざり合い、何か新しい違ったものを創り上げていくことが大切だと思っています。光と影に関しても私の考察はそれに関連しています」(クレメントとの対話)という、小笠原のことばのとおり、作品は、むろん谷崎の現代的な翻案などではなく、まぎれもなく発想は独創的である。

 

小笠原の芸術は過去の反復でも現実の模倣でもない。具象絵画である以上、描写は現実の外観に依拠し、ある程度の写実はもちろんある。しかしそれは表出衝動から発する想像力による自由な美の作り出しだ。創作の出発点には、さまざまな心的要素が内面で混ざり合い、漠然とした感情が醗酵する。画家はこの状態から、いわば無定形の素材的な体験内容から、脱出し芸術的な形成に到達しようと試行錯誤を続け、模索する。緊張と努力に満ちた作業である。引き締まり緩みのない情調を持続する。このような気分は、ふつう何かの体験により誘発されるものだが、芸術家によって意図的に作り出されることもあれば、不意に襲ってくる場合もあるだろう。「すばらしい本を読んだり、演劇や映画を見たりすると、頭に残るのは、あまり具体的なことばや場面ではなく、ある雰囲気や情趣です。その影響から逃れることはできないし、それなしでは考えられません」(クレメントとの対話)、という小笠原は、他のメディアからの刺戟を、自然風景や室内景観の視覚体験に重ね合わせ、受け取ったある一定の気分、雰囲気、情趣を作り直し、創作のきっかけをつかむ。それが画家なりの構想の方式であり、想の胚胎であろう。「おのずと生まれるスケッチはありますが、絵画では、私はかなり具体的なイメージを頭に持っています。絵を描く過程は、すべて私の手の内にあります。それは私の世界です。まったくの主観性から始め、客観性に移り発展していきます」というように、意志や思考を働かせて、能動的、意識的、思惟的に構想を組み立てる、いうなら主知主義的な態度だ。この画家に、芸術とは、そして絵画とは、と尋ねれば「世界を映し出すのが芸術です。私の絵画は実際の世界を飲み込み、その独自の現実性を吐き出します。創造力によってのみ創り出される真実です。私は見たものを受け取り、そこから、私を通して変化するものを表現します。それが私のしごとです」(クレメントとの対話)、という真っ直ぐな答えが返ってくる。私の絵画は、人間を揺り動かすさまざま喜びや未解決の困難などを抱え、どんどん複雑で捉えにくくなる世界の中で発展します。その世界をめぐる私の関心には終わりがありません」(クレメントとの対話)。小笠原の絵画世界は、なお進展してやまず、その射程範囲をいま読むことはできない。

2014年 河合哲夫(美術史家)

 

 

参考文献

ノエミ・スモレック:行為はいかにして形象となるのか、あるいは小笠原美環の絵画に近づく五つの道 2009年

ハンス・ヨルク・クレメント:明晰さの探求はアンビバレンスにたどり着く 小笠原美環との対話

2009年

岡倉覚三:茶の本 1906年

谷崎潤一郎:陰翳礼讃 昭和8(1919)年

大西克禮:幽玄とあはれ 昭和14(1939)年


Piece of reality

The world as an indeterminable, uncertain reality. Take a group of people in a forest, in a public place or in the park; a girl on a footbridge; a deserted, desolatelandscape. When I put them into a painting, I merely hint at time, place, action - thus allowing viewers to look more closely and seek their own personal level of reality. Free from subjective concerns and stripped of colour. In my paintings, emotions, ordinary contradictions and human frailties are transformed into gentle, quiet, soft, resonances. The human condition I depict comes from mypersonal observations rather than what is fed to us by the media.

 

Resonance

The resonances appear as a blur which abstract themselves from time and can even span past and future within itself : an extended moment, a present lost in reverie. The source of the resonance is unclear to allow a dreamlike, displaced reality. A sound - quiet but present. What is seen becomes blurred again, rendering the images peculiarly indefinite.

 

Reducing

I came to the conclusion that colour imparts a powerfully shifting impact on a painting – it can radically change the effect and meaning – and this disturbed me. When we see people, we automatically start to interpret. If I depict people in colour, it is immediately much more of a statement and quickly creates the impression of being overloaded. That is why I have been stripping colour further and further back, or rather, fading it out. 

 

Subtle combined differences 

Small canvases are more open whilst portraying blurring, intimations, faintness. With big paintings, it is different. Large surfaces require a self-contained world be depicted. It is a challenge to bring drawing and painting together – to get the balance right between the two techniques. During this unending process of working with reduction, nothing is to be focused and no moment robbed of its continuity. So, looking again and again, you will find – or think you find - images you might not have seen at first glance. I invite my viewers not to trust their eyes too quickly.  Take time to see clearly; give space to each look at a painting for a second or third reading of a scene. Behind frivolity lies earnestness, behind lightness there is seriousness. Nothing is static, stable, nothing stays as it seems to be.

 

Parallelity

What I show in different formats in painting is always a part of the many levels of reality. These levels need each other; idyll and danger, good and evil - their existence is intertwined. Something is amiss if one side is too strong or if one interpretation predominates. So my aim is to captur parallelity of life through in-betweens. 

 

Miwa Ogasawara